藤原新也写真展『沖ノ島』が、東京の日本橋高島屋で始まった(8月1日まで)

藤原新也写真展『沖ノ島』が、東京の日本橋高島屋で始まった(8月1日まで)。

沖ノ島は、玄界灘に浮かぶ周囲4キロほどの絶海の孤島で、島全体がご神体とされている。最近、世界遺産に登録されたことによって注目されているが、立ち入りは厳しく制限され、普段は島の社務所に宗像大社神職がひとりだけ滞在して、毎日ひっそりと、島の中央にある社、沖津宮に通って祈りを捧げている。

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写真展のハイライトは、その沖津宮の奥に位置する森を、中判ミラーレスカメFUJIFILM GFX 50Sで撮影した写真を6枚繋げて、長さ12mに出力した高精細の写真だ。ここは沖ノ島のなかでも特に神聖な場所とされ、人手がまったく入っていない。そこは場所の名前すらないので藤原は便宜的に「禁足の森」と呼んでいるhttp://www.freeml.com/bl/15684569/457600/
http://www.freeml.com/bl/15684569/457601/


「何人も入ることの出来ない禁足の森で沈黙の音を聴く。やがてひそひそと、さらにはざわざわと植物や地面や木々や巨岩たちが発する独特の信号で話し合っているかのような錯覚に陥る。禁足の森に入って驚いたのは、そこが古代より放置された場所であるにも関わらず、荒れ果てているのではなく、あたかも有能な造園師が設えたかのような秩序が保たれていたことである。そこには美しい下草、腐葉土、巨木や蔦、そして巨岩の数々がまるで話し合い、お互いの大きさや居場所を決めてきたかのような共生空間が生まれていたのだ」と藤原は驚き、「人間という地球の覇者が、このような秩序を壊してきたのではないだろうか」という想いに至る。

この6枚繋ぎの写真の美しさに息を呑んだ。三脚を立てて絞り込んで撮影して見せるという、あえて平凡な手法をとっているのだが、それは作家性よりもきっちり記録することを重視したためだという。それでいて藤原新也らしさを強烈に感じる。http://faoweurooiu.asks.jp/1078.html
http://faoweurooiu.asks.jp/857.html


沖ノ島には4世紀後半から国家による祭祀が執り行なわれるようになった歴史があり、祭祀に使われた銅鏡、鉄剣、翡翠の勾玉、純金製の指輪やササン朝ペルシアのカットグラスなどの宝物が出土した。沖ノ島が「海の正倉院」とも称される所以であり、宝物はすべて国宝に指定されている。

これら宝物の写真は、5年前に宗像大社辺津宮の神宝館に簡易スタジオを作って撮影した。カメラはリコーGXRに1,200万画素のMマウントレンズ互換のユニット(GXR MOUNT A12)を装着したボディに、ノクチルックス50mm F1.0を使っている。接写だが中間リングの類いは使わずに、ボディとレンズを離して、手持ちでアオリを加えつつ撮影するという藤原流写真術である。大判出力のためPhotoZoom Proで画像補完して見事に再現している。

写真展の最後から2番目に、唯一の演出写真、沖ノ島を田心姫(たごりひめ)という女神に見立てた古代の人の思いを表現した写真を加えた。

写真展『沖ノ島』は、『インド放浪』(1972年)から『全東洋街道』(1981年)までアジアの旅に明け暮れていた一方で、シアトル近郊の森で女性モデルを撮り下ろした『ゆめつづれ』(1979年)の時代の藤原新也を彷彿させるところもあって素晴らしい。